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岐阜地方裁判所多治見支部 昭和51年(ワ)189号 判決

原告

小栗敏行

被告

長谷川博茂

主文

被告は原告に対し金二五四一万二二一〇円およびこれに対する昭和五一年一一月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを一〇分し、その三を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

「被告は原告に対し、三七一六万一一九一円およびこれに対する昭和五一年一一月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」

との判決ならびに仮執行の宣言。

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決。

第二当事者の主張

(請求の原因)

(一)  交通事故の発生

(1) 日時 昭和四八年一二月八日午後一〇時四〇分頃

(2) 場所 恵那市中野方町二七六六番地先路上

(3) 事故の態様 原告は、恵那市大井町内の料理店で開かれた勤務先の忘年会からの帰途、道路上に停車した右料理店のマイクロバスから下車し、別紙図面記載のとおり、道路右側部分の中央よりややセンターライン寄りのところを岐阜県加茂郡白川町方面に向かつて歩行していたところ、前方より時速約六〇キロメートルの高速度で進行してきた被告運転の普通乗用自動車(以下加害車という)に激突され、約二九メートル斜後方に跳ね飛ばされて意識を失つた。しかるに、被告は原告を事故現場に放置したまま逃げ帰り、翌九日午後一時頃になつてようやく親族に付き添われて恵那警察署中野方派出所に出頭した。

(二)  責任

本件事故当時は、降雪のため約一〇メートルしか見通しがきかなかつたのであるから、被告としては一時停止するか、あるいは警笛を連続的に吹鳴しつつ前方を注視しながら徐行すべき義務があつたのにこれを怠り、前述のとおり漫然と時速約六〇キロメートルの高速度で進行したがために、本件事故を惹起したものであり、しかも、被告は事故当日忘年会において飲酒し、酒気がまだ残つている状態で加害車を運転していたものであるから、本件事故は、被告の徐行義務違反、前方注視義務違反および飲酒運転の過失に基づくものである。

また、加害車は被告所有のものであるから、被告は自動車損害賠償補償法(以下自賠法という)二条所定の保有者に該当する。

したがつて、被告は、民法七〇九条および自賠法三条に基づき、本件事故により原告が蒙つた後記損害を賠償すべき責任がある。

(三)  損害

(1) 傷害による損害

原告は本件事故により、頭部打撲創、脳挫傷、右鎖骨々折等の傷害を負い、事故直後から三週間意識不明の状態にあつたものであつて、事故当夜十全堂医院において応急手当を受けた後、昭和四八年一二月八日から同四九年四月三〇日までは森川病院において、昭和四九年七月四日から同五一年六月七日までは国立熱海病院において、右同日から昭和五一年九月一日までは農協共済中伊豆リハビリテーシヨンセンター(以下リハビリセンターという)において、それぞれ入院治療を受け、同年八月三一日に症状が固定した。

右傷害により原告が蒙つた損害は次のとおりである。

(イ) 付添看護費 九九万七〇〇〇円

原告の妻小栗とよ子が、本件事故当日である昭和四八年一二月八日から症状固定日である昭和五一年八月三一日まで九九七日間、原告のため付添い看護をした費用を一日当り一〇〇〇円として計算したもの

(ロ) 療養雑費 二四万九二五〇円

右九九七日間に要した療養雑費を一日当り二五〇円として計算したもの。

(ハ) 特別室使用料 一〇七万三八六〇円

国立熱海病院において治療中要した昭和四九年七月から昭和五〇年一二月までの間の特別室使用料

(ニ) 前歯治療費 六万六〇〇〇円

本件事故により折れた前歯を熱海の五十嵐歯科で治療した費用

(ホ) 装具代 五二五〇円

国立熱海病院において治療中要した装具代

(ヘ) 休業損害 二九九万一〇〇〇円

原告は本件事故当時、恵那楽器株式会社に従業員として勤務していたものであるが、一ケ月当りの平均給与は次のとおり一一万九一九三円であつた。

すなわち、昭和四八年一一月分の給与は、九万五一九三円であつたから、これに一二を乗じて年間支給額を算出すると一一四万二三一六円になる。次に賞与は昭和四八年七月支給分が一二万八〇〇〇円、同年一二月支給分が一六万円で、合計二八万八〇〇〇円であつたから、給与と賞与とを合わせた年間支給総額は一四三万〇三一六円になり、これを一二で割つて一ケ月平均給与を求めると、一一万九一九三円になる。

しかして、右の一ケ月平均給与額からすれば、原告は前記の九九七日間に一日当り少くとも三〇〇〇円の割合による休業損害を蒙つたものというべきであり、その総額は二九九万一一〇〇円になる。

(ト) 慰藉料 九九万七〇〇〇円

前記の傷害の部位、程度、治療期間、事故の態様等からすれば、傷害により原告の蒙つた精神的損害に対する慰藉料は九九万七〇〇〇円(治療期間一日当り一〇〇〇円)が相当である。

(2) 後遺障害による損害

前述のとおり原告の症状は昭和五一年八月三一日に固定したが、後遺障害として、頭部外傷後左片麻痺、左膝側副靱帯および同十字靱帯損傷、左眼視野障害、軽度構音障害の各障害が残つたため、同年九月一日以後も前記リハビリセンターで訓練等を受けている。

右後遺障害により原告が蒙つた損害は次のとおりである。

(イ) 逸失利益 二二八〇万四九五八円

右後遺障害は、自賠法施行令別表所定の障害等級の三級に該当し、その具体的症状は、日常的な頭痛、記憶力の著しい減退、舌の痺れ、視力の低下(動く物体を的確に見定めることができない)、左眼上部の視野狭窄、呼吸の異常(呼吸が早く、時々深呼吸をしなければならない)、声帯の異常、首の痛み、右肩の重圧感と痛み、腰背骨の日常的な痺れ、腰痛、左手の感覚鈍麻、左手の機能障害(左手が重くて早く動かない)、両膝および右足股の痺れ、左膝の機能障害(左膝がガタガタで重装具をつけなければ歩行ができない)、左足の感覚鈍麻、右膝の屈曲時の痛み、運動能力の低下(走つたり、跳んだりできない)であつて、もはや働くことは終生できない状態である。

ところで、原告は症状固定当時満三八歳であり、後遺障害がなければ満六三歳まで二五年間稼働し得たのに、後遺障害により労働能力を一〇〇パーセント喪失したため、次のとおり二二八〇万四九五八円の得べかりし利益を失つた。

119,193円1ケ月平均給与×12×15.944ホフマン係数=22,804,958円

(ロ) 慰藉料 九一二万一九八三円

前記の後遺障害の部位、程度、本件事故の態様等からすれば、後遺障害により原告の蒙つた精神的損害に対する慰藉料は九一二万一九八三円(右逸失利益の五分の二に相当する金額)が相当である。

(四)  結論

よつて、原告は被告に対し、前記損害金合計三八三〇万六三〇一円の内金三七一六万一一九一円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五一年一一月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する答弁)

(一)  請求原因(一)の事実のうち、原告主張の日時場所において原告と被告運転の加害車が衝突したこと、衝突時の原告の位置が原告の進行方向からみて道路右側部分のほぼ中央付近であつたことおよび事故発生後の被告の行動が原告主張のとおりであつたことは認めるが、加害車の速度の点は争い、その余は不知。

(二)  同(二)の事実のうち、本件事故当時は降雪のため見通しが悪かつたことおよび加害車が被告所有のものであつて、被告が自賠法二条所定の保有者に該当することは認めるが、その余は争う。

(三)  同(三)の(1)の事実のうち、冒頭の事実および(イ)、(ロ)の事実は不知、(ハ)ないし(ホ)の事実は認める、(ヘ)の事実については、原告が本件事故当時恵那楽器株式会社の従業員であつたことは認めるが、その余は不知、(ト)の事実は争う。

(四)  同(三)の(2)の冒頭の事実のうち、本件事故による後遺障害として、頭部外傷後左片麻痺、左膝側副靱帯および同十字靱帯損傷、左眼視野障害の各障害が残つたことは認めるが、その余は不知。

(五)  同(三)の(2)の(イ)の事実は不知、(ロ)の事実は争う。

(抗弁)

(一)  弁済の抗弁

原告が本件事故により受けた傷害の治療費は、十全堂医院分が八一五〇円、森川病院分が一七三万二六〇〇円、田所クリニツク分が一万五〇〇〇円、以上合計一七五万五七五〇円であつたところ、被告は右治療費全額を支払つた他、付添看護費として一七万九六九〇円、雑費として一五万円、原告の社会保険料および失業保険料として三五万六五九五円、休業補償費等内払金として四〇七万六三一五円を支払つた。

(二)  過失相殺の抗弁

歩行者は、歩車道の区別のない道路においては道路の右側端を通行しなければならないのに、原告は道路右側部分のほぼ中央付近を歩行していたものである。ところで、本件事故現場付近は非市街地で明かりは全くなかつた上、当時雪が降つていて前照灯の有効距離が減殺されていたため、歩行者である原告側からは前照灯をつけて走行してくる加害車の存在とその動きをよく認識できるけれども、運転者である被告側からは原告の存在とその動きを認識することは極めて困難な状況にあつたのであつて、この点も併せ考えると、原告の過失の程度は大きいというべきであり、八割以上の過失相殺率が適用されてしかるべきである。

(抗弁に対する答弁)

(一) 抗弁(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の事実のうち、本件事故当時原告が道路右側部分のほぼ中央付近を歩行していたことおよび降雪のため見通しが悪かつたことは認めるが、その余は争う。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  事故の態様について

原告主張の日時場所において原告と被告運転の加害車が衝突したこと、衝突時の原告の位置が原告の進行方向からみて道路右側部分のほぼ中央付近であつたこと、被告が事故発生後原告を事故現場に放置したまま自宅に逃げ帰り、翌九日午後一時頃になつて親族に付き添われて恵那警察署中野方派出所に出頭したことは当事者間に争いがないところ、いずれも成立に争いのない甲第三号証(原本の存在についても争いがない)、第一三号証の一、二、第一六号証の一、三、第一七号証の一、二、四、第一九号証、第二二号証、第二四号証、証人斉木鐘二の証言、原告本人尋問(第一回)および被告本人尋問の各結果(但し、右証言および尋問の各結果中、いずれも後記措信しない部分を除く)によれば、更に次のような事実が認められる。

(一)  本件事故現場付近の道路は、別紙図面のとおり、恵那市街方面から岐阜県加茂郡白川町方面に至る東西の直線道路であり、道路の幅員は六・三五メートルでその中心にセンターラインの表示がしてあるが、歩車道の区別はない。また、現場付近は非市街地(道の両側は田)で、人家も街灯もないため暗く、事故当時交通は閑散であつた。

(二)  原告は、事故当日恵那峡の料理店で午後六時頃から同九時半頃まで開催された勤務先の忘年会に出席した後、右料理屋の送迎用マイクロバスに乗つて帰宅する途中、本件事故発生地点の西方約一五〇メートルのところにあるガソリンスタンドに駐車してあつた同僚の自家用車に乗り継ぐため、右ガソリンスタンドの東方約五〇メートルの地点で右バスから同僚三名とともに下車したが、当時相当酒に酔つていた上、付近は非市街地で暗く、しかも雪がかなり激しく降つていて見通しが悪かつたため、ガソリンスタンドの西方で下車したものと錯覚し、道路右側部分の中央よりややセンターライン寄りのところ(道路南端より約一・九メートル内側)を、東方に向かつてふらつきながらうつむいて歩いていたところ、対向してきた被告運転の加害車に衝突された。

(三)  一方、被告は、事故当日恵那市内の旅館で午後六時から同一〇時頃まで開催された勤務先の忘年会の幹事をしていたことから、忘年会終了後、加害車を運転して出席者の一部を自宅へ送り届けた後、再び会場へ戻るべく、本件道路を恵那市街方面に向かつて時速約六〇キロメートルの速度で西進中、本件事故発生地点の東方約一五〇メートルのところで前方に対向車を発見したため、前照灯の照射方向を下向きにした。ところで、当時は前述のとおり雪がかなり激しく降つていた上、付近は非市街地で暗かつたため、前照灯を下向きにすると、前方の見通しは一〇メートル程度しかきかず、しかも、路面は濡れていて滑りやすい状況にあつたのであるから、被告としては当然最徐行し前方を注視しながら進行すべきであつたにも拘わらず、会場に早く戻ろうと気がせいていたため、時速約六〇キロメートルの速度のままで進行し、対向してきた前記マイクロバスに接近してはじめて時速約四五キロメートルに減速したところ、同車とすれ違つた直後に前方約一四メートルの地点に原告を発見し、直ちにハンドルを右に切つたが及ばず、別紙図面の×点で加害車左前部に原告を激突させ、更に約四一メートル進行してようやく停まり、一方、原告は、衝突直後加害車のボンネツト上に跳ね上げられ、衝突地点の西方約二九メートルの道路脇の田に転落した。なお、被告は、平素から酒はあまり飲まない方であつた上、当日は幹事で忘年会終了後車で出席者を自宅へ送り届けることになつていたため、会の始めに盃で五、六杯飲んだ以外は酒を飲まなかつたこと。

以上の事実が認められ、証人斉木鐘二の証言、原告本人尋問(第一回)および被告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。

二  被告の責任について

加害車が被告所有のものであつて、被告が自賠法二条所定の保有者に該当することは当事者間に争いがないから、被告には同法三条に基づく損害賠償責任があるというべきである。

三  原告の損害について

(一)  傷害による損害

成立に争いのない甲第五号証、第六号証の一、第七号証(原本の存在についても争いがない)、第二八号証、第二九号証(原本の存在についても争いがない)、乙第一号証の四、原告本人尋問(第一回)の結果によれば、原告は本件事故により原告主張の重傷を負い、事故直後から約二〇日間は意識不明の状態にあつたものであつて、事故当夜十全堂医院において応急手当を受けた後、昭和四八年一二月八日から同四九年四月三〇日頃までは森川病院において入院治療を受けたこと、その後、しばらく自宅で療養しながら、名古屋大学医学部附属病院、田所クリニツクおよび岐阜県立下呂温泉病院で診察、検査を受けた後、同年七月三日頃から昭和五一年六月七日までは国立熱海病院において、右同日から昭和五一年九月一日まではリハビリセンターにおいてそれぞれ入院治療を受けた結果、同年一一月三〇日頃治癒(症状固定)したこと、なお、国立熱海病院に入院中に大脳前右側頭葉陳旧性癒着切除の手術を受けたことが認められる。

(1)  付添看護費

前記甲第二八号証、原告本人尋問(第一、二回)の結果によれば、原告の妻とよ子は、事故当日である昭和四八年一二月八日から昭和五〇年五月一四日までは毎日原告の付添看護をしていたが、同年五月一五日マツサージ師養成学校に入学したため、同日以降は週に二、三回程度付添看護をしたことが認められる。

右認定事実によれば、昭和四八年一二月八日から昭和五一年八月三一日までの間の付添看護日数は六九一日(昭和五〇年五月一五日以降の看護日数は一週間当り二・五日として計算した。また、昭和四八年一二月八日分については、事故発生時刻が遅いため、日数の計算から除外した。後認定の雑費、休業損害算定の際の日数計算においても同様である。)であるから、原告は一日当り二〇〇〇円、総額一三八万二〇〇〇円の付添看護料相当の損害を蒙つたものと認めるのが相当である。

なお、付添看護料相当額がいくらであるかは、法律的判断の問題であつて事実ではないから、原告の主張を超える額を認めても弁論主義違反にはならない。また、同一事故により生じた同一の身体傷害を理由とする財産上および精神上の損害の賠償請求における訴訟物は一個であるから、ある損害項目について原告の主張を超える損害額を認めても、全体の認容額が原告請求金額を超えない限り、当事者の申立てない事項について判決をしたことにはならない。

(2)  療養雑費

成立に争いのない甲第三八号証の一の一ないし一四、同号証の二の一ないし一一、同号証の三の一ないし一〇、同号証の四の一ないし七、原告本人尋問(第一回)の結果および弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和四八年一二月八日から同五一年八月三一日までの九九七日間(うち入院日数は約九三四日間)に少くとも一日当り二五〇円、総額二四万九二五〇円の入院雑費、自宅療養雑費を要したものと認定するのが相当である。

(3)  特別室使用料

原告が国立熱海病院において治療中一〇七万三八六〇円の特別室使用料を要したことは当事者間に争いがないところ、原告本人尋問(第二回)の結果によれば、特別室の使用は主治医が治療上必要として指示したものであることが認められるから、右使用料は損害として認めるのが相当である。

(4)  前歯治療費および装具代

原告が、その主張のとおり前歯治療費および装具代として合計七万一二五〇円を要したことは当事者間に争いがない。

(5)  休業損害

原告が本件事故当時恵那楽器株式会社の従業員であつたことは当事者間に争いがないところ、原告本人尋問(第一回)の結果により真正に成立したものと認められる甲第一〇号証および成立に争いのない甲第三一号証によれば、本件事故前半年間(昭和四八年六月から一一月まで)の賞与を除く給与の支給総額は五三万一〇二八円、右給与のうち通勤手当は一ケ月一五六〇円、賞与は昭和四八年七月支給分と一二月支給分とで合計二八万二〇〇〇円であつたことが認められる。

右認定事実によれば、賞与および通勤手当を除く給与の一ケ月平均金額は八万六九四四円(円未満切捨、以下同じ)、賞与の一ケ月当りの金額は二万三五〇〇円になるから、賞与を含む給与(但し、通勤手当は除く)の一ケ月平均金額は一一万〇四四四円、一日平均金額は三六八一円になることが計算上明らかである。

そうすると、原告は本件事故により昭和四八年一二月八日から昭和五一年八月三一日までの九九七日間に一日当り少くとも三〇〇〇円、総額二九九万一〇〇〇円の休業損害を蒙つたものというべきである。

(6)  慰藉料

前認定の傷害の部位、程度、入院期間からすれば、傷害に対する慰藉料は二〇〇万円が相当である。

なお、慰藉料額の主張は、当事者の法律的評価の開陳であるから、当事者の主張を超える額を認めても弁論主義違反の問題は生じない。

(7)  治療費(前述の前歯治療費を除く)

原告が本件事故により受けた傷害の治療費は被告主張のとおり、十全堂医院分が八一五〇円、森川病院分が一七三万二六〇〇円、田所クリニツク分が一万五〇〇〇円、合計一七五万五七五〇円であつたことは当事者間に争いがない。

(二)  後遺障害による損害

原告の症状が昭和五一年一一月三〇日頃固定したことは前認定のとおりであるところ、本件事故に基づく後遺障害として、頭部外傷後片麻痺、左膝側副靱帯および同十字靱帯損傷、左眼視野障害の各障害が残つたことは当事者間に争いがなく、前記甲第七号証によれば、他に言語機能の後遺障害として軽度構音障害が残つており、原告は昭和五一年九月一日以後も現在まで引続きリハビリセンターに入所して訓練を受けていることが認められる。

(1)  逸失利益

(イ) 労働能力喪失率

成立に争いのない甲第九号証、第三〇号証、第三二号証、原告本人尋問(第一、二回)の結果によれば、次のような事実が認められる。

ⅰ) 前認定の後遺障害の具体的症状は、請求原因(三)の(2)の(イ)記載のとおりであるが、更に付加すると、左手については、物をつかもうとしても、つかむべき物に対する距離感覚がよく把握できない上、手が震えるため、常に右手で物をつかんでから左手へ移すしか方法がないこと、歩行時には左足に重装具をつけた上、杖を一本使うが、通常人と較べると歩行速度は平地で三分の一程度、起状のあるところではそれ以下であり、休み休みしか歩けないため長い距離は歩けないこと、左膝の可動域は八〇度から一八〇度であつて、正常な可動域(屈曲三五度ないし四五度、伸展一八〇度)の四分の三以下に制限されていること、腰は常にしびれていて腰をかがめることは容易にできないが、椅子には二時間位ならば腰掛けていられること、言語能力は事故後判断力が鈍つた上、舌がしびれているため、人と円滑に会話することができず、早口の話もできないこと、日常生活において自分の身の回りのことは、ほぼ自分でできるが、布団の上げ下ろしなど力のいる仕事はできないこと。

ⅱ) 原告は、本件事故当時は満三五歳(昭和一三年四月二七日生)の健康な成年男子で、勤務先ではギター組立の仕事に従事していたものであり、病気で欠勤することは殆んどなかつたこと。

ⅲ) 原告は、現在リハビリセンターにおいて、木工、タイプ、文化刺しゆう等手を使う仕事の職能訓練や歩行訓練等の機能訓練を受けているが、昭和五三年七月三日現在においてセンター退所の見込みも社会復帰の目途も全く立つていないこと。

ⅳ) 原告は、身体障害者福祉法施行規則七条所定の障害程度等級の三級および厚生年金保険法四七条所定の廃失等級の二級一三号(前各号に掲げるもののほか、身体の機能に労働が高度の制限を受けるか、又は労働に高度の制限を加えることを必要とする程度の障害を残すもの)の認定を受けており、また、リハビリセンター医師兼松英夫は、原告の現在の労働能力について「軽労作なら可、但し、補装具装用のこと」と診断していること。

以上の事実が認められ、右認定に反する前掲甲第七号証の記載部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。

右認定事実を総合して判断すると、原告には、自賠法施行令二条所定の後遺障害等級五級の二および一二級の七に該当する後遺障害があると認めるのが相当であるから、障害等級の併合、繰り上げの措置を施すと、結局原告の障害等級は四級に相当するというべきである。そして、前認定事実によれば、原告が将来従事し得る仕事は、椅子に腰掛けながら右手を使つてする短時間の手仕事、それもあまり技術や思考力を要しない単純なものに限定されるというべきであり、労働省労働基準監督局長通達による労働能力喪失率表によれば障害等級四級の労働能力喪失率は九二パーセントとされていることや原告の年齢が既に満四〇歳に達しており可塑性がないことを併せ考えると、原告の労働能力喪失率は、就労可能時までは一〇〇パーセント、それ以後は九〇パーセントと判定するのが相当である。

(ロ) 稼働可能期間

原告は、前認定のとおり昭和一三年四月二七日生で症状固定当時満三八歳であつたから、症状固定後の稼働可能期間は満六七歳までの二九年間と認めるのが相当である(稼働可能年数は、経験則に基づくもので、裁判所が自由な心証で決すべきものであるから、主要事実ではなく、したがつて、当事者の主張に拘束されない)。ところで、原告は前認定のとおり昭和五三年七月三日現在なおリハビリセンターに入所中で退所の見通しは立つていないのであるが、現症状からすると少くとも今後一年間は就労不能と認めるのが相当である。

(ハ) 結論

本件事故当時の原告の一ケ月平均給与は、前認定のとおり一一万〇四四四円であつて、これを年額に換算すると一三二万五三二八円になるところ、原告は稼働可能期間二九年のうち最初の三年間は一〇〇パーセント、残りの二六年間は九〇パーセント労働能力を喪失したのであるから、これによる逸失利益額は次のとおり二一三九万〇〇九〇円になる。

1,325,328円給与年額×100/100×2.7310 3年の新ホフマン係数=3,619,470円

1,325,328円×90/100×(17.6293 29年の新ホフマン係数-2.7310)=17,770,620円

3,619,470円+17,770,620円=21,390,090円

(2)  慰藉料

成立に争いのない甲第一一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二七号証および原告本人尋問(第一回)の結果によれば、本件事故当時原告方は、養父、原告夫婦、長女(昭和四二年三月一六日生)、二女(昭和四三年七月一日生)、三女(昭和四五年四月二日生)の六人家族で平穏に過ごしていたが、原告が本件事故に遭遇したばかりか、昭和五〇年頃から養父も神経痛で寝たきりとなつたため、原告の妻は、原告と養父の世話に精根を使い果たし、昭和五二年六月二八日自ら命を断つに至り、また、原告の子供達は昭和四九年七月頃から引続き福祉施設に預けられている状態であつて、原告の家庭は本件事故により崩壊してしまつたことが認められる。

右認定事実および前認定の後遺障害の部位、程度、継続期間、本件事故の態様(但し、原告の過失は除く)その他諸般の事情を考慮すると、後遺障害に対する慰藉料は九〇〇万円が相当である。

四  原告の過失割合について

前認定の本件事故の態様によれば、原告にも、歩車道の区別のない道路においては右側端を通行すべきなのに本件道路右側部分の中央よりややセンターライン寄りのところを通行した過失および当時相当酒に酔つてふらつきながらうつむいて歩いていて周囲の交通の状況に対する注意がおろそかになつていた過失があつたものというべきである。一方、被告の方は、当時前方の見通しが一〇メートル程度しかきかず、しかも、路面は濡れていて滑りやすい状況にあつたのに、時速約四五キロメートルもの速度で進行していたもので、いわば盲目運転に近く、著しい徐行義務違反、前方注視義務違反の過失があつたというべきである。

しかして、前認定の本件道路の幅員、現場付近の周囲の状況、事故発生時刻等の事情を総合して判断すると、原告の過失割合は二〇パーセントと判定するのが相当である。

五  損害の填補について

被告が被告主張のとおり、治療費、付添看護費、雑費、休業補償費等総額六五一万八三五〇円を既に支払つたことは当事者間に争いがない。

六  結論

第三項において認定したとおり、本件事故により原告の蒙つた全損害額は三九九一万三二〇〇円であるから、これに過失相殺を施した上、前認定の損害填補額を控除すると、被告が支払うべき損害賠償額は二五四一万二二一〇円になる。

39,913,200円×0.8-6,518,350円=25,412,210円

以上の次第であるから、原告の本訴請求は、被告に対し二五四一万二二一〇円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和五一年一一月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 棚橋健二)

別紙 〈省略〉

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